応用事例

騒音の原因となる自動車のサイドミラー周辺の風の流れを「FrontFlow/red-HPC」を使って解析

株式会社本田技術研究所 先進技術研究所 ダイナミクス領域
安保 慧(アンボ ケイ)氏

「FrontFlow/red-HPC」は、図のように「非構造格子(メッシュ)」を用いて熱・流れの方程式を解く汎用熱流体解析ソフトウェアです。通常の格子は立方体である場合が多いのに対し、非構造格子は三角錐など複数の多面体を使い、複雑な形状を効率よく表現できるのが特徴です。また、メッシュの大きさを部分的に粗くしたり細かくしたりといった操作も自由自在です。それにより、より細かく解析したい部分のみを高解像度で解析・可視化し、それ以外の部分は必要最低限の解像度にするといった柔軟な対応が可能となり、高効率な計算処理を実現できます。現在、自動車の空力、ガスタービンの燃焼、都市環境における風の流れなど、大規模で複雑な物理現象を扱う問題の解析において、広く利用されています。

FrontFlow/red-HPCは、複雑な形状を、効率よく表現できる非構造格子を用いて、熱・流れの方程式を解くソフトウェアです

国家プロジェクトの下、開発した純国産の熱流体解析ソフトウェアを大規模計算に適用

FrontFlow/red-HPCは、理化学研究所計算科学研究センター(RIKEN R-CCS)および北海道大学、神戸大学が中心となって開発した汎用熱流体解析ソフトウェアです。もともと文部科学省のプロジェクト「革新的シミュレーションソフトウエアの研究開発」の中で開発された熱流体解析ソフトウェア「FrontFlow/red Ver.3.1」(北海道大学で公開中)をスーパーコンピュータ用にチューニングしたものです。
次世代のスーパーコンピュータから汎用計算機まで、さまざまなスケールの計算に対応が可能で、現在、工学・ものづくりを専門とする科学者や産業界の技術者が多く利用しています。
これまで産業界で広く使われてきた熱流体解析ソフトウェアは、そのほとんどすべてが外国製でした。そうした状況のもと、企業からの機能の追加や変更の要求に、より迅速に柔軟に応えられるよう、純国産の熱流体解析ソフトウェアとして開発したのが、「FrontFlow/red」でした。それをスーパーコンピュータ用にチューニングしたこと(FrontFlow/red HPC)で、さらに、今まで商用のソフトウェアでは出来なかった大規模シミュレーションが可能になりました。

FrontFlow/red-HPCの活用事例

騒音の原因となるサイドミラーの周辺の風の流れを「京」とFFRを使ってシミュレーション

本田技術研究所の安保慧さんがスーパーコンピュータ「京」と、FrontFlow/red-HPC(以下、FFR)を使って取り組んだのは、走行中に発生する騒音の一つの原因となっている自動車のサイドミラーの周辺の風の流れを、高精度でシミュレーションすることでした。

走行中に自動車の周辺に発生する風の流れを最適化する研究開発において、自動車メーカーでは従来「風洞実験」が行われてきました。一方、近年では、開発の初期段階から、CFD(=computational fluid dynamics:数値流体力学)と呼ばれる手法を使ってコンピュータシミュレーションし、風の流れを確認することが行われています。

しかし、風の流れ、特に騒音となる流れは非常に複雑であるため、商用のソフトウェアを使ってのCFDでは、風の流れの完全な再現は難しいという課題を抱えています。そのため、風洞実験も併用していますが、風洞実験には模型が必要であり、その制作に時間やコストがかかる上、修正も大変です。加えて、CFDの精度が低いと、かえって誤った方向に行ってしまい、後の風洞実験の段階で大きな変更を余儀なくされる可能性も少なくありません。したがって、開発の初期段階で、いかに高精度でシミュレーションを行えるかが、開発工程の短縮や開発コストの低減という観点から重要な課題となっていたのです。

このような中、安保さんが相談したのが、理化学研究所計算科学研究センターの複雑現象統一的解法研究チームのリーダーで、FFRの中心的な開発者である坪倉誠教授でした。安保さんは、特に自動車のサイドミラーの周辺で発生する風の渦と、その剥離が騒音の大きな原因になっていると考え、坪倉教授のアドバイスのもと、サイドミラーの周辺での風の流れにターゲットを絞り、「京」コンピュータ上で、FFRを使った高精度シミュレーションに挑戦することにしました。

「実は、サイドミラーの周辺といった局所のみのシミュレーションであれば、社内のコンピュータでもある程度、対応可能でした。しかしながら、サイドミラーの周辺で渦を発生させる風が、どこからどのようにやってくるのか、サイドミラーの周辺で渦を巻いたあと、どのように車体と干渉していくのかといった自動車全体を通した風の流れを高精度でシミュレーションできなければ、騒音の発生原因を正しく理解することはできません。その点で、社内のリソースでは不十分でした。また、商用のCFDソフトではメッシュの細かさ、つまり解像度も足りませんでした。そこで、『京』コンピュータを使ったFFRによるシミュレーションを実行することにしたのです」と安保さんは説明します。

サイドミラーの周辺だけでなく自動車全体の周辺の風の流れを高精度で可視化

安保さんがFFRを選んだ理由は、まず、「京」コンピュータでの実績があり、信頼性が高いこと、次に、必要とする高解像度による大規模計算が可能なこと、そして、事前にFFR HPCの開発者である坪倉教授から、どの程度の解像度でシミュレーションを実行すればよいかなどのアドバイスを受けていたため、安心して取り組むことができたことでした。

中でも安保さんが、FFRに対して利便性が高いと感じた点は、必要に応じてメッシュの細かさ(解像度)を自由自在に変えられることでした。自動車全体には比較的粗いメッシュを入れ、一方、詳細に解析したいサイドミラーの周辺にはより細かいメッシュを入れることで、効率よく求める結果を得ることができたそうです。車体全体を解析するために結果的にメッシュ数は数十億に達し、これは商用のソフトウェアでは扱えない規模でした。
 
実際、「京」コンピュータを使ってのFFRによるシミュレーションの結果、安保さんは、自動車全体における風の流れ、そして、サイドミラー周辺で発生する風の渦とその剥離の様子の両方を高精度で可視化することに成功しました。

「京」コンピュータ上でのFFRによるシミュレーション結果。自動車全体における風の流れとサイドミラーの周辺の詳細な風の流れの両方を高精度で可視化。
風洞実験の結果とも合致していた
(出典:安保慧「ミラー騒音解析に向けたwall-resolved LESの実車適用」PPT 3/15)

サイドミラー周辺により細かいメッシュを入れることで、サイドミラー周辺の風の流れを高精度で解析
(出典:安保慧「ミラー騒音解析に向けたwall-resolved LESの実車適用」PPT 11/15)

今回の風洞実験では、自動車のボディやサイドミラーの表面に圧力センサーなどを装着し、風の流れや剥離現象を細かく計測しています。FFRによるシミュレーション結果は、風洞実験の結果と合致していました。シミュレーション結果の信頼性が非常に高いことが確認されたのです。しかも、風洞実験では、局所的な圧力の変化しかわかりませんが、今回のシミュレーションでは、サイドミラーの周辺だけでなく、自動車全体の周辺の風の流れを高精度で可視化でき、騒音という現象の発生メカニズムに関する理解を深めることができました。今後、安保さんたちはこのシミュレーション結果を基に、自動車の形状のさらなる最適化を図り、騒音の低減や空気抵抗の改善につなげていく計画です。

安保さんはこう振り返ります。「『京』コンピュータを一企業が使いこなすのは容易なことではありません。その点で、使い方からFFRによる計算処理の方法まで、すべてのプロセスを、坪倉教授をはじめとする理化学研究所や大学の先生方に相談させていただきながら一緒に進めていくことができたことが、今回の成果につながりました。今後の自動車開発において新たな1歩を踏み出すことができたと、強い手応えを感じています」

現在、安保さんたちのグループは、理化学研究所計算科学研究センターが中心となって推進している、HPCを活用した「自動車用次世代支援コンソーシアム」に参画し、「京」コンピュータの後継機である「富岳」コンピュータで取り組むべきテーマについて検討しているところです。

「今や自動車を含め、幅広い分野での製品開発に、スーパーコンピュータは欠かせないものとなっています。『富岳』での取り組みにおいても、産業界が研究機関や大学と強く連携を図りながら、明るい未来を築くための製品開発にまい進していければと願っています」と安保さんは締めくくりました。

日本のものづくりを支援するFrontFlow/red-HPC

このように、FrontFlow/red-HPCは、熱・流れといった時々刻々と変化する現象をスーパーコンピュータ上で効率よく並列計算できる上、設計業務や基礎研究で試したい新しい解析モデルや新手法を容易に追加することができるソフトウェアです。理化学研究所計算科学研究センターでは、「京」コンピュータに続き、「富岳」コンピュータにおいても、広く産業界に対して手厚い技術サポートを行っていきます。それにより、日本のものづくりを支援していきます。

(2019.11 取材)