チームリーダー
S先生(40代半ば)の場合

子どもの頃

将来の夢は
プログラマー!?
産まれも育ちも仙台。最近までずっと仙台に住んでいました。小さい頃は親に買ってもらった偉人伝が好きで、よく読んでいました。特に、エジソンがかっこいいな!と思っていました。
少し大きくなり、ファミコンブームが到来!しかし、親に買ってもらえず…。
そこで、ファミコンの代わりにパソコンに興味を持ちはじめました。デパートの電気屋さんのパソコンコーナーに通ってパソコンをさわったり、プログラムをノートに書いてました!
小5の時、見かねた親がパソコンを買ってくれました。それからはパソコンに夢中になしましたね!マイコンBASICマガジンに載っているプログラムを打ち込んでゲームを作ったりしているうちに、自然にプログラミングを覚えました。小学校の卒業文集には「将来の夢:プログラマー」と書いていました。

中学生・高校生の頃

パソコンの沼へどっぷり…
中学の頃もパソコン部に入り、ひきつづきパソコンにどっぷりハマっていました。卓球部も兼部。こちらも結構がんばってました!
高校は地元の公立高校に進学しました。高校でもパソコン部に入りたかったのですが、無かったのでパソコン部を作ってしまいました!入学祝いで新しいパソコンも買ってもらったので、さらにどっぷりハマっていました!この頃はプログラミングだけではなく、CGを描いたり音楽を作ったりもしていました。
文理選択では当然のように理系を選び、近くの国立大学の工学部を選びました。当時は情報系志望ではなく、飛行機やロボットなどの機械系がいいなと漠然と考えていました。研究者になりたい!と思い始めたのも受験生の頃です。

大学生の頃

映画もバンドも
コンピュータも!
大学では映画を作るサークルに入り、主に映像にCGや音楽などを加える技術を担当していました。時々監督をしたり、役者として出演もしました。さらにはサークル仲間とバンドを組んだことも(キーボードとドラムを担当)。大学生活をエンジョイしていました!
学科の選択は大学3年生の時でした。いろいろな研究室を見学をしているうちに、高校生の時に考えていた機械系の研究よりも、コンピュータのアーキテクチャを研究している研究に興味が出てきました。教授がおもしろい先生だったこともあり、アーキテクチャの研究室に入ることにしました!

研究室配属後

研究者めざして一直線!
研究室配属から博士課程修了までずっと同じ研究室にいましたが、いろいろなテーマの研究をしました。
ハードウェアの研究がメインでしたが、時にはCGをいかに美しく出すかというような研究もしていました。当時公開された映画「ジュラシックパーク」のリアルな恐竜のCGには衝撃を受けましたね。ちなみに、博士論文はシミュレーションの可視化の研究でした。
この頃には研究者になるぞ!と決めていたので、就活は一切しませんでした!博士課程修了後、そのまま研究室の助手になり、念願の研究者になりました!

若手研究者の頃

研究者人生を変えた
ロンドン留学
助教授2年目にインペリアル・カレッジ・ロンドンに留学したことは、研究者人生の大きな転機となりました。
最先端の研究や技術に触れる事ができましたし、さらに海外の研究者とも人脈ができました。さらに、一度海外に滞在したことで、海外から見た日本についてや、日本の良いところ・悪いところも感じることが出来ました。
チャンスがあればどんどん海外に行き国際交流することをお勧めします!
将来の夢
将来の夢は大きく、歴史に名を残すような計算機科学者になりたいです!
小学校の頃に読んでいたような偉人伝に、私も加わることができるといいなと思います(笑)
2019年取材
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