センター長
Mさん(50代半ば)の場合

子どもの頃

秋葉原は僕の庭!
産まれも育ちも東京。山手線内です。子どものころから科学少年。小2の頃から秋葉原に通い詰める、元祖秋葉原少年でした!
電子工作教室に通っていました。最初ははんだ付けで電子工作をしていました。この頃ははんだごては30~60Wの強いものしかないので扱いにくく、時々火傷もしてしまうし、とても不便でした。そこで、親にねだって電子ブロックを買ってもらいました。
小4~中2はアメリカで過ごしました。アメリカでも電子工作は続けていました。他にも、モデルロケットを飛ばしたりもしていました。
中2で秋葉原に戻ってきてびっくり!電子部品ばかり売っていたはずの秋葉原に、初期のコンピュータが売られていたのです!なにこれ!?と興味を持ち、雑誌をアメリカから取り寄せコンピュータの勉強を始めました。

中学生・高校生の頃

既にお金を稼ぐ
コンピュータ少年
通学路上にあったデパートのパソコン売り場に入り浸り、パソコンを動かしていました。ここで後のアルバイト仲間とも出会いました。デパート閉店後もみんなでゲームセンターに移動し、ゲームをしたり、ゲームの挙動を観察しプログラムを考えたりしていました。
中学~高校の頃はソフトウェアを作って企業に売ったりしていたので、お金をためて自分のパソコンを買い、さらにプログラミングに磨きをかけました!デパートのパソコン仲間が会社を作り、ここでアルバイトとして働くことになり、職場の秋葉原のマンションに入り浸っていました。
卒業生の半分が東大に行く私立の高校だったので、自然と東大に行きました。情報系の勉強がしたかったので、迷わず理1に行くことにしました。

大学生の頃

バイト漬けの日々
プログラミングには慣れていましたが、基礎や理論はよくわかっていなかったので、専門として学ぶ情報科学はとても新鮮でした!
修士2年まで、学生とアルバイト先でソフトウェアを作る、2足のわらじ生活を続けていました。ファミコンのソフトの開発もしていました。みんなのお父さんがやったことあるあのゲームも作っていたかも!?
ゲームを作っていましたが、するのも大好きで、今でも時々やったりしますよ!車を運転するのが好きなので、レーシングゲームをよくやりますね。スマホでパズルゲームをたまにすることもあります。課金するより、自分の腕を磨きたい派です!

研究室配属後

いずれは就職?
情報科学の全体像、体系をもっと学びたく、大学院に進学することにしました。この頃は、研究者にはなろうとは思っておらず、将来は企業で開発者になるんだろうなと思っていました。
もう少し勉強や研究がしたかった事や、アルバイト仲間からの勧めもあった事もあり、博士課程へ進みました。もし途中でダメだったら就職すればいいと考えていました。
研究室に所属はしていましたが、ほとんど一人で研究していました。博士1年の時、一人で学会に論文を投稿、採択され、海外に発表しに行くことになりました。学会会場で日本人や外国人の友人・仲間がたくさんできました。ここで知り合った教授に助手に誘われ、助手をしながら学位をとることにしました。

若手研究者の頃

研究者に向いているのかな
研究は楽しいし、うまくいっているので続けてきましたが、自分は本当に研究者に向いているのかな?嫌になったらやめようかな、という気持ちはずっとありました。
2014年にスパコン界の最高峰学術賞であるシドニー・ファーンバック記念賞を受賞した時、自分は研究者だと認められた!と思えるようになりました。
趣味ではF1や車が好きです。人間とテクノロジーが一体となって競い合うのは楽しいなと思います。つい研究者目線で見てしまいますね。
将来の夢
どこまでコンピュータの計算が速くなるかを突き詰めたいです!
現在は理論的なコンピュータの限界値とまだまだギャップがあります。理論的な限界にどこまで近づけるのか、追及したいです!(ただし、私が研究者でいるうちに見つけられるかわかりませんが…)
2019年取材
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