「富岳」EXPANDS
イベントレポート

理化学研究所 計算科学研究センター(R-CCS)は2023年1月24日、スーパーコンピュータ「富岳」を活用した研究成果や利活用に関する取り組みを紹介するシンポジウム「富岳」EXPANDS ~可能性を拡張する~」をKDDI大手町ビルにて開催した。

今回のシンポジウムでは、シミュレーション・ビッグデータ・AIの融合による高度なデジタルツインの実現を目指す各分野の最先端研究や今後の展望を紹介するセッションやパネルディスカッションが行われ、「富岳」や今後のHPC(ハイパフォーマンスコンピューティング)が想像を超えたイノベーションを生み出し、日本社会を牽引していくために何が必要かを議論する内容となった。また、「富岳」の成果となるArm for HPC用のシステムソフトやアプリなどシステム、デジタルツインを実現するサイエンスやソリューション全体が広く社会に定着し、活用されるための取り組みの第一歩として「富岳」上のアプリケーションをクラウド上でほぼそのまま効率的に実行するための「バーチャル『富岳』」構想が発表された。

ここではイベントの概要を紹介する。

基調講演:AI✕「富岳」✕デジタルツインの未来予想図

大崎真孝氏

最初に米大手半導体メーカーNVIDIA(エヌビディア)日本代表兼米国本社副社長の大崎真孝氏が「NVIDIAの先端技術とデジタルツインのビックバン」と題して基調講演を行った。
同社はGPU(画像処理装置)で有名だが、近年はHPCの開発、AI関連サービス、メタバース分野にも注力している。これまでにもフォトリアルな3D空間に工場や店舗などのデジタルツインを作成し、設計やシミュレーションなどを行える、いわば「産業用メタバース」とも言える開発プラットフォーム「NVIDIA Omniverse」や、インタラクティブな対話が可能なAIアバターなどを次々と発表している。

大崎氏はこれからスーパーコンピュータの活躍が期待される分野として、科学技術計算(シミュレーション)の進化、シミュレーションとAIの融合、エッジコンピューティングとのシステム化、量子コンピューティングの研究、デジタルツインの5つを挙げた。

以下、画像は各講演者のスライドから

この中でも特に同社の取り組みが進んでいるのがデジタルツインの分野だという。
例えば先述のOmniverseでのデジタルツイン構築としては、

  • ・Amazonの物流倉庫の配置や配送オペレーションを最適化するためのレイアウト
  • ・ベンツの製造工場設計
  • ・英国原子力公社とマンチェスター大学による核融合反応のシミュレーション

さらに物理シミュレーションを行うためのAIフレームワーク「NVIDIA Modulus」との組み合わせとしては、

  • ・独シーメンス社の風力発電所や工場の建設

といった事例もあり、現実と見紛うようなリアルな3D空間での作業環境や、不具合などを事前に発見し改善できるような環境を提供している。

NVIDIA OMNIVERSE - 3Dデザインコラボレーションとデジタルツインのプラットフォーム
SIEMENSとNVIDIA - 産業メタバースで提携

大崎氏はこうした最先端事例を紹介し、「R-CCSをはじめ日本のアカデミアが培ってきた数々の科学技術とシミュレーションの資産が、デジタルツインによって産業界との協創関係を生み、新たな価値を生むことで、今後『富岳』を含めたHPCを拡張していくと確信しています」と語り講演を締めくくった。

講演:「富岳」NOW

「富岳」で何ができるのか。各分野の研究者たちが最新の研究成果を紹介する「『富岳』NOW」。ここでは5名の研究者による発表が行われた。

「富岳」の時代のHPCの産業応用と今後の展開

加藤千幸

加藤千幸

東京大学生産技術研究所
革新的シミュレーション
研究センター
センター長・教授

「富岳」の時代のHPCの産業応用と今後の展開

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シミュレーションとデータの融合について
- 地震を例に -

市村強

市村強

東京大学地震研究所附属 計算地球科学研究センター
センター長・教授

シミュレーションとデータの融合について 地震を例に

「富岳」が拓く創薬DXの未来

奥野恭史

奥野恭史

理化学研究所計算科学研究センター
HPC/AI 駆動型医薬プラットフォーム部門 部門長
京都大学 大学院医学研究科 教授

「富岳」が拓く創薬DXの未来

大規模サプライチェーンのデジタルツイン実現への取り組み

井上寛康

井上寛康

兵庫県立大学大学院
情報科学研究科 教授
科学技術振興機構 さきがけ研究員

大規模サプライチェーンのデジタルツイン実現への取り組み

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シミュレーションとインフォマティクスによる新材料設計・探索

中嶋隆人

中嶋隆人

理化学研究所計算科学研究センター
量子系分子科学研究チーム
チームリーダー

シミュレーションとインフォマティクスによる新材料設計・探索

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パネルディスカッション:「富岳」EXPANDS

パネルディスカッションには以下の4名が登壇した。

臼井宏典(プラナスソリューションズ株式会社 代表取締役社長)
松岡聡(理化学研究所 計算科学研究センター センター長)
村上敬亮(デジタル庁 統括官 国民向けサービスグループ グループ長)
モデレーター:クロサカタツヤ(株式会社 企 代表取締役)

松岡は「富岳」の総責任者、臼井氏が率いるプラナスソリューションズはさくらインターネットの子会社で、民間企業としてスパコン導入ソリューションを提供する立場、そして村上氏はデジタル庁で国のDXを推進していく立場として登壇した。

本ディスカッションは副題に「将来の「ハイパフォーマンスコンピューティング(HPC)がインフラとなる社会」を見据えて」と付けられている。HPCがインフラとなる社会とは一体どのような状態を目指すのか。デジタル庁の村上氏が端的に説明する。

村上敬亮氏

「人口増加時代は、伸びる需要に対し供給側が強い立場にありましたが、人口減少時代にはそれが逆転します。バス停に乗客が並んで待つのでなく、乗客がいるところに車の方が迎えにいかなければビジネスが成り立ちません。しかも、人口減少に伴いエリア単位の需要密度はむしろ下がり、需要の嗜好性は多様化する。限られたドライバー、限られた車両台数で対応する供給側は大変です。これは製造や小売の現場も同じです。供給側の生産計画を需要が熱く見守るのではなく、ニューヨークの店舗で欠品が出たらすぐさま中国の工場に増産が始まるよう、供給側が需要に寄り添う努力をしなければ、売上も利益も伸びません。これからは、人が定める供給計画ではなく、需要がはじき出すデータが、生産活動、流通、販売のすべてを自動的にコントロールする時代になるでしょう。また、そのためには様々なプレーヤが保有する需要データを連携・活用するデータ連携基盤が必要になります。課題は、これを誰がお金を出して作るかがなかなか決められないことです。もし何もしなければGAFAを筆頭とする海外のテックジャイアントたちがデータも基盤も独占し、利益も産業構造決定権も独り占めをしてしまうでしょう。巷で言われる“デジタル敗戦”がますます深刻度を増してしまいます」

需要が供給に合わせる経済から、供給が需要に合わせる経済へ

また、「我々の仕事や生活シーンの多くがインターネットとつながり、膨大なデータを生み出しています。そこで様々なデータがやり取りされ、ビッグデータを生み出していく。欧州はこれを「データスペース」と呼んでいますが、「データスペース」が供給側の事業活動を直接コントロールする経済、「データスペース・エコノミー」が始まります。そして、このデータスペースを支える最も重要な基盤技術の一つが、データの分析・活用を担うスーパーコンピュータでしょう」と語った。

HPCのインフラ化をさらに推進するためには何が必要なのか。モデレーターのクロサカ氏は「データリソースのオープン化だけではなく、『データを使って面白いことができそうだ』と思ってもらえるようにする、言い換えればHPCにつきまとう、ある種のとっつきにくさを減らす必要があるのではないかという課題がありますよね」と指摘する。

クロサカタツヤ氏

HPCへのとっつきにくさとは何か。その理由のひとつは企業が「富岳」を使おうと思っても申請と許可が必要であり、そのための枠も限られていることから「使いたくても使えない」という状況が生じてしまう。プラナスソリューションズの臼井氏も「そもそも実際に計算機実験ができる場所が限られすぎている、資金が潤沢な機関・企業しか使えないということもあります。また、扱える人間の育成という意味では大学生になっていきなり『スパコンが使えるよ』と言われても高校時代までに何も教育がない状態で使えるわけがない、という問題も大きいと思います」と語る。

松岡も、高校生・高先生向けのスパコンコンテスト(Supercomputing Programing Contest)で「富岳」を使えるようにする、ASEANの学生向けプログラムを提供するなどと教育関連の取り組みも増やしてはいるとしつつも、臼井氏に同意する。

また、村上氏は「スーパーコンピュータを使うアイデアを思いつける人と、実際に動かせる技術者・研究者とのコラボレーションも増やしたいですね。省庁で最もスーパーコンピュータを活用しているのは気象庁で、自分たちで運用しています。ですが気象庁に計算機の理論に詳しい人材が多いのかといえばそういうわけではありません。つまり、スーパーコンピュータでも、わかりやすいユーザビリティがあればどんどん活用されていくということです」と語った。

臼井宏典氏

「富岳」のクラウド化、クラウドの「富岳」化

では、「富岳」普及のために今後どんな手を打っていくのか。

松岡はその一例として、理化学研究所 計算科学研究センター内に2021年4月に設置した「富岳」Society5.0推進拠点を挙げる。これはノウハウを持つ各種機関や組織、民間企業と協働し大きなムーブメントを生み出すための取り組みだ。「こんなことに『富岳』が使えないか」というニーズの実現を手助けするだけでなく、必要であれば制度的課題をも解決するためのサポートも行うことが特徴だ。「そういったムーブメントを起こすためには「富岳」が1つあるだけでもダメで、社会的なプラットフォームとして広げる必要がある」と語る。

そしてこの日新たに、「富岳」で利用されるアプリケーションを米アマゾン・ウェブ・サービス(AWS)のクラウド上で使えるようにする共同研究の取り組みも発表された。「富岳のクラウド化」「クラウドの富岳化」構想である。ハードとしての「富岳」を増やしていくのではなく、その機能やアプリケーションをより多くの場所で使えるようにしていく戦略だ。

Fugaku Expands through the Cloud クラウドを通じた富岳の成果の拡張の理研の戦略
Fugaku Expands through the Cloud クラウドを通じた富岳の成果の拡張(MoU AWS & Riken)

「富岳」そのものが使えなくても、いわば「バーチャル富岳」として利用者が必要な機能を、より広く自由に使えるようにしていく取り組みである。実現はもう少し先になるとはいえ、「HPCのインフラ化」に向けて一歩踏み出した形だ。

本シンポジウムのまとめとして松岡氏は「『富岳』の次世代となるスーパーコンピュータのあり方」についても触れた。

「まだフィジビリティスタディも始まったばかりですしお話しできることは少ないですが、東京スカイツリーのような“高さ”ではなく、富士山のような“高さと幅”を目指すイメージです。『富岳』はかなり先進的な技術を多数投入していますが、『富岳NEXT』を作るにはさらに先進的な技術を使わなくてはいけないことも現時点でわかっていますし、かつプラットフォームにならなきゃいけない。日本発の技術として普及していくことも大事だと思っています」

松岡聡