月は地球のマグマオーシャンからできた

特任技術研究員
地球を回る月はどのようにできたのでしょう?
原始地球に別の天体が衝突して形成されたという巨大衝突説が有力ですが、
月と地球の同位体比がよく似ているという観測結果とは矛盾しています。
細野さんたちは、原始地球にマグマオーシャンの存在を想定すると、
この矛盾が解消されることをシミュレーションで示しました。
新たに開発されたシミュレーション法は、津波の予測にも役立ちます。
月はどのようにできたのか?
「月は私たちにとって身近な天体ですが、惑星科学の目で見ると奇妙な性質をもっています」と細野さんは言います。まず、月の直径は地球の4分の1ほどで、これは衛星としてはちょっと大きすぎるのです。太陽系には地球のほかに3つの岩石惑星がありますが、水星と金星に衛星はなく、火星はごく小さい衛星を2つもつだけです。また、月と地球のペアは、他の岩石惑星に比べて回転(角運動量)が大きいという特徴もあります。
この「奇妙な」月がどのように形成されたのかについて、これまでいくつもの説が提唱されてきました。たとえば、遠心力により地球から分裂してできたという説、地球と同時かつ同様に形成されたという説、遠くからやってきた天体が地球に捕捉されたという説などです。しかし、月の構造と運動の両方をうまく説明できるものはありませんでした。
そんな中で、1970年代半ばに巨大衝突説が提案されました
(図1)。これは、「原始地球に火星ぐらいの大きさの天体が斜めから衝突し、衝突の高温で岩石が揮発したガスが地球を回る軌道に円盤状に広がり、やがてガスが冷えてできた粒が重力により合体して月が形成された」というものです。「あまり起こりえないようにも思えますが、太陽系の形成過程では惑星どうしの衝突が頻繁にあったと考えられています。この説は、ほかの説と比べて月の構造や運動を無理なく説明できるうえに、2000年代には、急激な計算機の発達により複数のコンピュータ・シミュレーションが行われ、それらにより月が形成されうると検証されたため、もっとも有力な仮説とみなされるようになりました」
巨大衝突のシミュレーションでは、月は原始地球ではなく、おもに衝突したほうの天体から形成されるという結果が得られています。ところが、1970年代のアポロ計画で持ち帰られた月の岩石を2000年代になって分析したところ、いくつもの元素の同位体比が地球の岩石と一致することが示され、この一致は、その後の高精度分析でより確実となりました。つまり、月の岩石は原始地球に由来すると考えられるようになったのです。こうして、巨大衝突説は大きな矛盾を抱えることになりました。


原始地球にマグマオーシャンがあったとしたら
この矛盾を解消しようとさまざまな仮説が提案されましたが、いずれも、月ができる確率は非常に低いものでした。もっと確率の高いシナリオを求め、見逃している要素はないかと考えていた米国イェール大学の唐戸俊一郎教授は、2014年、巨大衝突時の原始地球にマグマオーシャンがあったという説を提案します。マグマオーシャンとは文字どおり岩石の溶融したマグマの海で、地球の形成初期の一定期間、表面を覆っていたと考えられています。巨大衝突を受けた際、地表が固体の岩石であるか液体のマグマオーシャンであるかによって衝突時の高温に対する挙動が大きく異なるため、ぶつかってきた天体よりもマグマオーシャンのほうが多く飛び出すと予想したのです
(図2)。この成分が固まれば、地球由来成分の月ができることになります。


ちょうどそのころ、細野さんは、理化学研究所計算科学研究機構(現 計算科学研究センター)の粒子系シミュレータ研究チーム(チームリーダー:牧野淳一郎
博士)に所属していました。「唐戸先生は地球科学の専門家ですが、シミュレーションは経験がない。一方、牧野先生は天体のシミュレーションが専門です。このお二人が高校の同窓生だった縁でたまたま会う機会があり、このシナリオの話が弾んでコラボレーションが決まり、私がシミュレーションに取り組むことになりました。巨大衝突のシミュレーションは米国が中心で、やや停滞気味の印象があったので、新しい道を切り開きたいという気持ちで研究を始めました」
現在の月のもとになる円盤ができた
状態方程式、DISPH法、FDPSの3つが揃ったことにより、マグマオーシャンで覆われた原始地球への巨大衝突のシミュレーションが実現しました。「計算にあたって、原始地球は、中央に金属核、その周囲にマントル、いちばん外側に深さ1500 kmのマグマオーシャンという3層構造をもつとしました。また、衝突した天体は、金属核とマントルの2層構造としました。これらは、惑星科学的には十分にありうる想定です」
図3はシミュレーション結果の一例です。巨大衝突後、ジェットのように物質が吹き出し、やがて、原始地球の軌道を回る円盤が形成されました。一方、衝突後に一度離れていった衝突天体は、約40時間後にふたたび原始地球に衝突して合体しました。「ここで重要なのは、再衝突後の円盤の質量と組成です。円盤の質量は現在の月より大きく、原始地球に由来する成分が質量の70%以上を占めていました。私たちは、この条件の円盤から月ができたとすると、現在の月の質量と組成を説明できると考えています」

(a)衝突後の物質粒子の運動
衝突後、原始地球の周りにはマグマオーシャンと衝突天体に由来する物質がばらまかれ、衝突天体に由来する物質が失われながら、円盤を形成していく。一方、7.1時間後に左下に見えていた衝突天体は、一度離れた後、40.8時間後にふたたび地球に衝突して合体する。シミュレーションは42.1時間後までだが、こうして形成された円盤から月が形成されると考えられる。
(b)円盤の組成と質量の経時変化
衝突直後には衝突天体に由来する物質の割合が大きいが、衝突から約40時間後、衝突天体が地球と合体することにより、衝突天体に由来する成分は急速に減少し、月をやや上回る質量で、その約70%がマグマオーシャンに由来する円盤が生じる

細野さんたちは、同様のシミュレーションを、さまざまな衝突速度と衝突角度で行いました。1回の衝突をシミュレーションするだけでも膨大な計算が必要になりますが、このように多くの場合について計算できたのは「京」の計算パワーがあってのことです。計算の結果、月より大きい質量をもち、成分の70%以上が原始地球由来である円盤ができる場合が、何通りもあることがわかりました (図4)。


細野さんたちは、原始地球が固体だと想定したシミュレーションも同様に行いましたが、こうした条件の円盤は形成されませんでした。こうして、マグマオーシャンの存在を想定すれば、地球と似た同位体比の月がかなりの確率で形成されることがわかり、巨大衝突説の矛盾を解決できることが示唆されました。
新たな研究に向けて
細野さんは、この結果が得られたとき、「こんなにうまくいくわけがない」と思い、自分の直感が間違っているのか、理論が間違っているのか、計算コードが間違っているのか、ずいぶんと考えたそうです。それほど順調に得られた結果ですが、「これですべて解決したというわけではなく、今回の論文にも賛否両論が寄せられています。今後は、原始地球にはマグマオーシャンが、いつ、どのぐらいの期間、どのぐらいの規模で存在したのかを考えなければなりませんし、現在の月の質量と組成を説明できる円盤の条件も検討する必要があります」
月の形成は重要な現象だけに研究者も多く、議論は続きそうですが、細野さんたちの結果が、今後の研究にとって大きな一歩となったことは間違いありません。さらに、「巨大衝突は太陽系のほかの惑星や、太陽系外においても起こったと考えられます。このような惑星の多様性を考える際にも、今回の結果は、重要な示唆を与えると思います」
一方、細野さんが開発したDISPH法は、地震や津波、土石流のシミュレーションにも力を発揮します。これまで、「京」では、標準的なSPH法により町単位の津波遡上シミュレーションが成功していますが、後継のスーパーコンピュータ「富岳」でDISPH法による計算を行えば、「日本全体、さらには、全球のシミュレーションも可能かもしれません」と、ポスト「京」の重点課題3「地震・津波による複合災害の統合的予測システムの構築」のメンバーでもある細野さんは言います。細野さんたちの研究成果は、今後、天文学や惑星科学に限らず、防災・減災への応用も期待されているのです。
(取材・執筆:サイテック・コミュニケーションズ 飯田啓介/青山聖子)
に収録されています。
