竹内薫の明日のコンサイ

第2回 たかが計算、されど計算 ――― 縁の下のシミュレーション

「シミュレーション」という言葉を耳にしたら、どのようなイメージが頭に思い浮かぶだろうか。なにやら難しげな、コンピュータを使った「予測」といった感じだろうか。
日本語だと発音しにくいから「シュミレーション」と言ってしまった経験がおありの方も多いだろう(笑)。実は、シミュレーションの語源をたどると、ラテン語の「simul」で「同時の」という意味だとわかる。たしかに、同時に動くと「真似」になるし、その真似を事前におこなえば「予測」になる。

実は、現代社会の背後では、無数のシミュレーションがおこなわれていて、われわれは、その膨大な計算にほとんど気づくことなく、日常生活を送っている。 たとえば、毎日テレビやパソコンで見る天気予報。台風の予測進路や週間天気予報などは、すべてシミュレーションだ。あるいは、スマホの経路検索も、渋滞情報などを加味して最短経路をシミュレーションしてくれる。広義では、アコースティックな響きを再現するデジタルピアノや、フィルムのざらつきを再現するデジカメの「フィルター」などもシミュレーションといえるだろう。

ボクもがんばってるんだけどなあ

日常生活だけでなく、ノーベル賞級の科学研究でもシミュレーションは大活躍だ。今年いちばんの科学ニュースといえば、「アインシュタイン最後の宿題」といわれた重力波の検出だと思うが、あのニュースの背後にもシミュレーションがあった。アメリカの研究チームLIGO(ライゴ)が「13億光年遠くにある、太陽の質量の29倍と36倍のブラックホールが融合した際に発生した重力波を検出した」と発表したのだが、いったいどうやってそんな遠くで起きた現象の詳細がわかったのだろう?(13億光年とは、秒速30万キロメートルという光速で13億年かかる距離のことである!)
実は、LIGOには純粋な理論や実験の担当者だけでなく、いわば「シミュレーション部隊」とでもいうべき科学者集団がいて、彼ら、彼女らが事前に膨大な重力波発生のシミュレーションをおこなっていた。つまり、太陽の質量の40倍と100倍のブラックホールが融合したら、どんな重力波が放出されるのか、あるいは、超新星爆発や連星中性子星の合体が起きたら、どんな重力波の波形になるのか……想定される、あらゆるケースをコンピュータで計算していたのだ。重力波検出装置がビビー!と警報を鳴らして、プリンターが波形を印刷し終えた瞬間に、シミュレーション部隊は図書館へと走り、しまってあった膨大な波形のファイルと照らし合わせて、太陽質量の29倍と36倍のブラックホールが融合したことを突き止めた!(……すみません、ウソです。むかしのSF映画風に情景を描いてみました。実際には、すべて自動化されています。)

かくいう私もサイエンス作家になる前、大学院で物理学を学んでいたとき、素粒子の電子と陽電子が衝突してヒッグス粒子が生成されるシミュレーションをやっていた。当時はヒッグス粒子の質量も見当がつかなかったので、毎日、朝から晩まで計算してグラフを描くことばかりやっていた。結果的に、われわれの研究チームが狙っていた質量の領域にヒッグスは存在しなかったので、膨大なシミュレーションの計算は無駄骨となったのであるが(涙)。

ようするに、日常生活を支えるシミュレーションであれ、ノーベル賞級の科学研究であれ、膨大な計算をしている人々がいて、彼ら、彼女らの仕事なしには、天気予報も道路検索も重力波検出もたちゆかない。シミュレーションのほとんどは無駄骨に終わるが、彼ら、彼女らが計算をやめたら、科学技術に支配された現代社会は動かなくなってしまう。 たかが計算、されど計算。よく「縁の下の力持ち」というが、シミュレーションこそは、現代社会の見えない礎(いしずえ)なのだ。今度、天気予報やカーナビやニュースで「予測」を見たら、その裏にあるシミュレーションに思いを馳せてもらいたい。