物質の中に宇宙が見えてくる

スケールを超える臨界現象を探す
Interview
2015年10月掲載
京都大学大学院情報学研究科 助教 原田 健自
原田 健自
Kenji Harada
京都大学大学院情報学研究科 助教
東京大学物性研究所のスーパーコンピュータ「Sekirei」の前で
撮影:STUDIO CAC

原田さんたちは、物質の中で起きる新しい臨界現象を「京」などのスーパーコンピュータを駆使して探しています。臨界現象とは、ある条件で物質の状態が突然変わる相転移の一種です。しかも物質の中で起きる臨界現象は、特有のスケールを持たない現象であり、広大な宇宙から物質の最小単位である素粒子の世界に至るまで、あらゆるスケールで起きる可能性があると考えられています。

量子の世界を再現する難しさ

「高校のとき、部活動でコンピュータ・グラフィックスを作成しました」と原田さんは振り返ります。「そのとき、光線が物質に当たり、反射して私たちの目に届く過程を追跡するレイトレーシングという計算手法があることを知りました。当時は計算量の関係でもっと簡単な手法をプログラミングして使ったのですが、計算機の中に光線と物質から成る現実の世界を再現することで、実物と見分けがつかない画像を描くことができることに強い感銘を受けました」

原田さんが今、計算機の中で再現しているのは、物質をつくる原子や電子など、極微の量子の世界です。

「しかし、現在の計算機の中で量子の世界を再現するのは、そもそも無理があります」と原田さんは言います。

「例えば1個の電子でも状態が一つに定まらず揺らいでいます。量子の世界では日常感覚ではイメージがしにくい性質が現れるのです。そのような量子の世界の性質に基づき物質の中で起きる現象を再現する研究をしているのですが、それには膨大な計算量が必要になります。物質を構成する原子の数が10倍に増えたとすると、その物質の状態を再現するための計算量は、10倍ではなく、元の計算量の10乗(元が10なら10の10乗=100億)に増えてしまいます。そこで私たちは、計算が可能な物質や現象を選び、計算手法などを工夫することで、何とか量子の不思議な世界を再現しています。そこが難しさと同時に面白いところです」

二つの臨界現象が融合して同時に起きる

原田さんは物質で起きるどのような現象を計算機の中に再現しようとしているのでしょうか。「メインテーマの一つは臨界現象です。臨界現象は相転移の一種です」

まず、相転移とは何でしょうか。「0℃で水が氷に変わったり、ある圧力と温度で磁力が現れたりするなど、物質の性質が突然変わる現象です」と原田さんは説明します。では、水が氷に変わるような相転移と臨界現象では、どのような違いがあるのでしょうか。

「臨界現象は特有のスケールを持たないという特徴があります。物質の中で起きる臨界現象は、物質の最小の単位である素粒子のスケールや、広大な宇宙スケールでも起きる可能性があると考えられているため、研究する価値が高いのです」と原田さんは力を込めます。

物質の中では無数の種類の臨界現象が起き得ると理論上は考えられています。しかし、平面状の2次元や立体的な3次元の物質の中で実際に発見されている臨界現象は数えるほどしかありません。「臨界現象は、見つけることが難しい宝石のようなものです。私たちは今、臨界現象の中でもまれにしか起きない『脱閉じ込め量子臨界現象』の研究を行っています」

それは、マイナス273.15℃という絶対零度において起きる電子スピンが関係した現象です。電子スピンとは、磁力を生み出す源で、向きを持っています。磁石では、多くの電子スピンが同じ方向を向いているので、磁力が現れるのです。

「脱閉じ込め量子臨界現象では、電子スピンの向きの並び方が、ある条件で突然変わります(図2)。しかもその変化を対称性という観点から見ると、二つの臨界現象が同時に起きていると考えられます。そう言われても、イメージができませんよね。あくまで例え話ですが、磁力を持つ水があったとしましょう。その水に圧力をかけていくと、あるところで氷となり、しかも、同時に磁力を失う現象が起きるようなものです。つまり、脱閉じ込め量子臨界現象は、無関係だと思われていた2種類の現象が融合して同時に変化する特殊な臨界現象なのです。従来の臨界現象の理論を超える現象なので、それが本当に起きるのかどうか、研究者の間で大きな論争になっています」

図2 脱閉じ込め量子臨界現象
図2 脱閉じ込め量子臨界現象
図2 脱閉じ込め量子臨界現象
ネール秩序相では電子スピンの向きが互い違いになっているのに対して、Valence Bond Solid相では電子のスピンがペアを組んでいる。ある操作によって全体の様子が変化しない場合、その操作に関する「対称性がある」という。実際、ネール秩序相では格子を90度回転させても変化がないし、Valence Bond Solid相では電子スピンを一斉に回転させても変化はない。臨界現象は、「対称性の自発的な破れ」と解釈できるので、そのような対称性の観点から見ると、ネール秩序相とValence Bond Solid相間の変化は、二つの臨界現象が融合して同時に起きていると考えられる。

脱閉じ込め量子臨界現象を「京」で検証する

原田さんたちは、あるタイプの物質で圧力などの条件を変えていくシミュレーションを行い、脱閉じ込め量子臨界現象が起きるかどうか調べる研究を行いました。「すると、小さなサイズでは、脱閉じ込め量子臨界現象と同様の電子スピンの変化が起きることを突き止めました」(図1・図3)

図1 脱閉じ込め量子臨界現象における世界線の状態
図1 脱閉じ込め量子臨界現象における世界線の状態
図1 脱閉じ込め量子臨界現象における世界線の状態
色づけられた線は、電子などの時空間における軌跡を示し、「世界線」と呼ばれる。このような世界線から導かれる計算結果に基づき、脱閉じ込め量子臨界現象の検証を行っている。
図の水平方向は電子などが存在する2次元空間、垂直方向は虚数時間を表す。虚数時間は、虚数(2乗したときに負になる数)を単位とする。虚数時間は実在しない時間ではあるが、量子揺らぎを表現するために導入されている。
図3 脱閉じ込め量子臨界現象を検証するための計算プログラムの一部(ALPS/looperをベースに開発)
図3 脱閉じ込め量子臨界現象を検証するための計算プログラムの一部(ALPS/looperをベースに開発)
図3 脱閉じ込め量子臨界現象を検証するための計算プログラムの一部(ALPS/looperをベースに開発)

それが本当に臨界現象であることを確かめるには、物質のサイズを大きくしても電子スピンの変化が起きるかどうか調べなければいけません。ただし、物質のサイズを少し大きくするだけで必要な計算量が急増してしまいます。そこで、原田さんたちは世界有数の計算速度を誇る「京」や、東京大学物性研究所のスーパーコンピュータを用いて研究を続けてきました。

「その結果、私たちが計算機の中で見つけた変化が脱閉じ込め量子臨界現象である確率が8割、そうでない確率が2割といった状況です。変化が起きる瞬間(量子臨界点)において、それまで自由に動けず閉じ込められていたスピノンという仮想的な粒子が物質全体を自由に動き回る“脱閉じ込め”が起き、スピノンが2種類の異なる現象を融合させて同時に変化を引き起こすと考えられています。私たちは、計算機の中でスピノンを再現して、それが自由に動き回るかを調べることで、脱閉じ込め臨界現象の検証を続ける計画です」

素粒子物理学や宇宙論にも貢献

臨界現象の研究には、どのような意義があるのでしょうか。「妻に“あなたの研究は何に役立つの? ”と聞かれると、いつも答えに詰まってしまいます」と原田さんは苦笑します。

特に、脱閉じ込め量子臨界現象は絶対零度で起きる現象なので、その研究成果を直接、装置や材料の実用化へ役立てることは難しいと考えられます。しかし、物理学全体に大きなインパクトを与えるはずです。

「脱閉じ込め量子臨界現象は、もともと素粒子の世界で起きると考えられてきました。ただし最先端の素粒子理論の計算は、物質の計算よりもさらに難しいため、本当に起きるかどうか立証できていません。私たちが物質の中で脱閉じ込め量子臨界現象が起きることを確かめることができれば、その現象は素粒子から宇宙までスケールを超えて起きる可能性があると考えられ、物質の起源を探る素粒子物理学や、宇宙誕生を研究する宇宙論に大きく貢献することになります。臨界現象の魅力の一つは、物質の中に宇宙が見えてくることです」

(取材・執筆:立山 晃/フォトンクリエイト)

この記事は「計算科学の世界」NO.11
に収録されています。
計算科学の世界 VOL.11(PDF:5.57MB)pdf